論と証拠

「論より証拠」という言葉がありますね。

確かに、グダグダと理屈を並べたてるよりも、ハイっと証拠を見せてしまった方が説得には便利な場合もあります。

特に我々のような業種では、患者さんが「良くなった」という事実には逆らえないですし(その逆も)、対象が数値化困難だったりもするので、臨床的には「論」よりも「証拠」が求められる傾向がより強いかもしれません。

私自身はというと、手技療法を学び始めてからというもの、どうしても「論」があいまいなものに馴染めず、「証拠」が目の前にあったとしても、「なんで?」という疑問から逃れられずに過ごしてきました。

よく分からないものを、よく分からないままに試す、そして使い続けるということに、どこか抵抗があったんです。

かといって「治れば何でもいいんだよ」というアバウトな姿勢に強い反感があるというわけでもないんで、まぁめんどくさい性分なんでしょうね。

なぜか仙腸関節には特にその性分が強く表れて、不完全ながらも、これまで「論」を追求してきたわけです。

論理には論拠が必要ですから、これはなかなか手強い作業です。

現在ある仙腸関節の理論には、どれも決定的な証拠がありません。

かく云う私の理論も同様です。

私の論文は信頼し得る事実関係を論拠として仮説を積み重ね、それらしく体裁を整えているにすぎないのです。

その仮説は他よりも数段優れているという自負はありますが、その科学的検証は今後の大きな大きな課題です。

それでもこの論理がなければ私の施術は成り立たない、と言える程度には、納得できるレベルに達してはいます。

しかし、仮にそれが本当に正しいとしても、結果(効果)が伴わなければ一般的な評価など得られません。

その点に関して言えば、その結果は論じるよりも、動画として実際に提示するのがもっともお手軽な方法だと最近は感じています。

それこそ「論より証拠」として。

最近動画を公開するようになって、Youtubeで施術系の動画を見る機会が増えました。

世の中の流れなんでしょうけど、Youtubeを使った集患(客)も目立ちます。

もちろん私もそのうちの一人なのです。

しかしどうも釈然としないのは、大量にヒットする「一人語り」的な動画。

彼らは動画を使っていろいろと論じているわけですが、論ずるには論ずるに適した手段というものがあって、それはやはり「著述」には敵わないと私は思うわけです。

そして大概、そうした一人語りには、証拠は見当たらない。

あれだけ動画を積極的に活用しているんだから、実際の臨床動画で優位性を主張するのが、信用を得るための一番手っ取り早い手段ではないかと、私には思われる。

いやむしろ、動画を活用するなら、それは「証拠」だけで十分。

この業種で「論より証拠」を示すとしたら、臨床動画以上の手段が私には思いつかないのです。

Youtubeは今や有効なPR媒体ですが、論ずるには論ずるために、示すには示すために、相応しい作法というものがあると思います。

私的には動画は論ずるには相応しくないので、いくら大量に動画を投稿していても、結局は「論もなければ証拠もない」というようなもので、残念ながら評価に値しない。

かくいう私も、今までは論ずるばかりで証拠を示してこなかったので、これからは可能な限り(これはこれで、手間がかかるので)、動画でそれを提示していこうと思っています。

まだまだ科学的だなんて言えない私の仙腸関節論ですから、その正当性を世に問うためには、「論と証拠」のどちらもそろえて初めてその舞台に上がれるのかもね、と、そんな風にも思うからです。

そして、願わくば、Youtuberになりたい(笑)。

コメント

タイトルとURLをコピーしました