山歩きが良いと思う理由

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「健康を保つ上で大切なのは『食事と運動』である」と言われて反対する人は少ないと思います。

食事はやっぱりタンパク質、ということになりそうですが、じゃあ運動は?ってことで、ちょっと考えてみました。

最近お山歩をしている関係上、成り行きで(笑)。

 

私は脊柱、特に骨盤が大好きですが、仙腸関節をよくよく観察してみると、これは「『二足歩行』を可能とするために進化発達した人類独自のシステムだ」と思えてなりません。

これが正しくて、もしヒトの仙腸関節が二足歩行のために進化し、そこに仙腸関節機能のすべてが詰め込まれているのだとするなら、仙腸関節の機能をあますことなく発揮させる動作は歩行である、と考えられます。

ていうか、私はそう信じています(笑)。

 

話しは変わりますが、仙腸関節には機能的な左右差があって、その動きは左右対称ではありません。

これは私の持論で公に認められた通説ではありませんが、それを示唆する研究報告もいくつかありますし、目の前でその現象を再現しながら説明し、納得させる自信は十分にあります。

で、無意識に行っている動作のほとんど(全てといっても良い)にこの左右差は関わっていて、それがいわゆる骨盤の歪みの主要因になっていると私は考えます。

 

ここで私の考える「歪み」とはなにか?ということをちょっと説明しておきます。

仙腸関節の動きにはもともと左右差があります。

非対称に動きますから、そういう意味では動くたびに歪んでいるわけです。

しかしその動きの歪みは機能的な左右差の一環であり、異常とはいえません。

私の考える歪み(異常)とは、大雑把に言えば、その左右差が固定され正常な動きを失った状態のことを指します。

 

また話は飛びますが、同じ動作を繰り返していると、そこに関わる神経回路が強化され、その動作を円滑に行いやすいよう身体を勝手に制御します(主に小脳の役割)。

不慣れな作業もいずれ簡単にできるようになるのは、脳内にこうしたプログラムが出来上がるからです。

いわゆる「体が覚える」という状態です。

一人一人の脳の中には、それぞれの生活に応じたプログラムが複数あるのでしょう。

 

一方構造的にはどうかというと、上でも述べたように、身体にはもともと機能的な左右差があり、動きは非対称です。

歩行機能も、細かく観察すると完全な非対称。

ここにもやはり脳が関わっていて、その非対称性には一定のパターンがあります。

しかもこの非対称性、非常に効率の良い機能でもあるのです。

歩行でいえば、エネルギーのロスを最小限に留めるための機能と見受けられます。

脳にしろ仙腸関節にしろ、こうした機能は基本的に「楽をするため」の仕組みであると思われます。

同じパターンの繰り返しは、脳と身体にとってコントロールが「楽」なのです。

 

実生活もそんな感じではないですか?

大概ワンパターンですよね(笑)。

「規則正しい生活」と言い換えてもいいですけど。

しかし、そうした規則正しさのなれの果てが、身体の歪みだと私は思ってます。

そう使ってきたから、そう歪んだんだ、ってことです。

 

なかなか山歩きの話にはたどり着けずまた話は変わりますが(笑)、自然って「規則的」でしょうか「不規則的」でしょうか?

これは意見の分かれるところかもしれませんが、荒っぽくまとめるなら、不規則がある程度の規則性をもって構成されている、という感じではないでしょうか?

完全に規則的ではないし、完全に不規則的でもないという。

ま、「自然」から言わせたら、「そんなこと知ったこっちゃない!」っていうでしょうけど(笑)。

 

で、現代。

ヒトは規則的な方が生活はしやすいですよね、普通は。

生活リズム、なんてのはもちろんでしょうけど、例えば道路。

道路がデコボコでは歩きにくかったり車で走りにくかったりするので、街では舗装が基本です。

いまやバリアフリーが当たり前ですから、スマホを見ながら歩くとか、エアガンを撃ちながら運転するなんてことも出来てしまいます。

これは足元の状況を気にせずに行動できるからです。

 

そして運動。

テレビを見ながら一日何分とか、気になるところにぺたっと貼り付けてピクピクさせておくだけとか、他のことをしながらスリムになれる便利グッズがたくさんあります。

ランニングやウォーキング、その他ジムワークでも、目安はスピードや距離、時間など、一定のリズムや負荷を繰り返す運動が主流ではないでしょうか?

それを否定するつもりはありませんが、そうした運動の継続は、その運動に関するプログラムが強化されるだけでしかないような気がするのです。

つまり結局は、身体の中の規則性が増すだけではないか?と。

 

仙腸関節的にみると、いつも同じポイントに掛かり続ける負荷によって関節がまずは安定し、負荷がその安定する一点に加わり続けた結果として関節が固定化される、という問題の流れを私は想定しています。

吉岡メソッドはそのポイントからの負荷の解放と分散を目的とします(その結果は動画でご確認ください)。

繰り返される動作が神経回路を強化するように、繰り返される同一部位への物理的な刺激は、荷重やエネルギー伝達のルートを強化します。

私の思い描く理想は、仙腸関節にかかる負荷が、その関節内で万遍なく自由に移動できる状態です。

そのために必要と思われるのは、規則的な刺激ではなく不規則な刺激です。

 

入力される刺激の量が少なければ少ない(単純な動作)ほど、神経回路も強く強化されるでしょう。

反対に刺激の量が多く、そして不規則になるほど、つまり動作が複雑になるにつれ、神経回路の強化は困難なものになると思われます。

関節にかかる負荷も同様で、単純な動作の繰り返しはワンパターンな負荷刺激となり、複雑な動作はランダムな負荷となって、その掛かる部位もランダムに変化するはずです。

 

さて、ようやく山の話です(笑)。

山道はまさにランダム、不規則そのものです。

一歩一歩地面の角度も向きも違いますし、石があったり根っこがあったり、砂利や土、滑りやすかったり固かったり、段差もバラバラで同じ状況が続くことはありません。

なので歩幅もペースも一定とはいきません。

こうした不規則の連続性は、脳にとっても身体にとっても、ものすごい刺激量です。

身体全体を使って、つまりそこに関わる脳のたくさんの領域を使って歩きます。

 

ヒトが生活してきた場所は、かつてはどこもそうだったはずです。

そういった環境がヒトの脳と身体を進化させてきたとするなら、またはその環境を生き抜くために発達したのだとするなら、その機能を維持するために必要な運動は規則的なものではなく、不規則的なものであるはずだと思うわけです。

 

できるだけ規則的に使うように仕向ける身体の仕組みはヒトの進化の一部なのかもしれませんが、その先に健康があるとは限りません。

元来の自然環境には規則性など少なくて、神経回路の強化という「簡略化」は、連続する不規則に素早く対処できる領域を十分確保するために備わったシステムであり、人為的に不規則を排除した現代の環境は、プログラミングされた規則性の中でしか脳も身体も使わないので、むしろ不自然である、とは言えませんか?

さまざまな環境の変化が簡略化を追求した結果であるならなおさら。

 

そう考えると、身近に不規則なままの自然環境があり、その中を小さいころから走り回っているのが一番健康的なんじゃないかと思えるんです。

脳にも身体にも。

 

てことで、強引にまとめ。

やっぱり山っていいよね(笑)。

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