はぁ~、やっと動画への長~い反論が一段落、と思ったら、また次の批判のお知らせが舞い込んだ(笑)。
骨盤矯正から目を覚ませ!(Institute for Musculoskeletal pain. Kindle 版.)
今度はすごいよ。
罵詈雑言のオンパレードだよっ!
もう骨盤矯正が嫌いで嫌いでどうしようもないっていう怨念が文面から滲み出ているよ。
しかも著者名がないよ。
匿名だよ、匿名の告発だよ!
と思って先ほど書籍名で検索したら、あっさり著者のサイトが出てきました。
この書籍?の著者は「タム」という人らしい。
が、やはりどこのどなたかは不明。
「鍼灸師」ということだけは分かった。
まぁだれが書いたかはいいとして、その中身は、一言でいえば「悪口」です(笑)。
どうやら骨盤矯正を仕事としている私は、「嘘つき」で「詐欺師」で「邪悪」で「陳腐な悪」で、挙句にナチスの「アイヒマン」のような人間なのだそうです。
最大限の「誹謗中傷」、恐縮です。(´・ω・`)
こうして批判への反論を続けていると、たまたまこれを目にした人にとって私は、「骨盤矯正擁護派」だと思われるかもしれません。
もちろんそうですが、骨盤矯正なら「なんでもかんでも擁護」ではありませんので誤解なきよう。
念のため整理しておきますが、私は基本、既存の仙腸関節理論にはどれも否定的で、その理論に則った矯正法にも肯定的ではありません。
そしてもうひとつ付け加えると、既存の理論は「バラバラでまとまりがない」ので、骨盤矯正と言ってもそれぞれ「別物」だということです。
つまり現状では「骨盤矯正」と一緒くたにすることがそもそも出来ず、本文中にもあるように「私の骨盤矯正は他の骨盤矯正とは違う」という理屈が確かにまかり通るのです。
だから私もあえて言いますが、「私の骨盤矯正は明確に他とは違います」(笑)。
さらにもう一点、私がここでいう骨盤矯正とは、仙腸関節矯正の事です、一応。
それぞれの骨盤矯正は理論が異なるので、それはあまりにもおかしいんじゃないか、という骨盤矯正法には当然私も否定的です。
しかしながら、私自身の理論も含めてすべては仮説ですし、そこにはまだ「正解」はないのですから、完全な否定もできません。
それが骨盤矯正の問題点だと私は把握しています。
否定はできないが、それでも議論は可能。
そうした議論の中から「正解らしさ」に近づいて行けたいいと思っています。
なので議論はいつでも誰とでも大歓迎。
しかしこの著者からは、議論すら受け付けない強い「憎悪」と「固執」しか感じない(笑)。
それにしてもなぜ私は肯定派で、この著者は否定派なのか、この分かれ目がどこにあったのか?それがとても気になる。
これまでに何度も書いていますが、私はかつて仙腸関節どころか徒手療法否定派でした。
しかし仙腸関節にはどこか引っかかりを感じていて、無視できない存在感が私の中には常にありました。
それが、ひょんなことからカイロスクールに入校し、多くの仙腸関節テクニックを学ぶにつれ、一度さっぱりと取り除かれました。
「ちっともワカラン」と。
(この辺の経緯は、HPのプロフィールにあります。)
このあたりの過程は、もしかすると私と著者は同じなのかもしれません(知らんけど)。
その後私は、私の意志とは無関係に、そのスクールの講師をする羽目になり、そこであらためて「仙腸関節の壁」にぶつかるわけです。
「こんなワカランもの、どうやって教えるんだ?」と。
そして調べれば調べるほど、分からなくなったのでした。
信じられそうなものが一つもなく、自分自身の「分からない」という感覚だけが、唯一信じられるものでした。
ていうか、それを信じる以外ないほど分からないのが仙腸関節でした。
そこから自分自身が納得できる答えを探そうと、仙腸関節の探求が始まったのです。
確認可能な解剖学的知見と自分の感覚だけを頼りにして。
既存の運動学に関しては、全部疑ってました(笑)。
もう一つ私が疑わなかったもの、それは「必ず正しい答えがある」ということ。
仙腸関節は身体の中に確かに存在する一つの関節です。
それが動くという前提で尚且つ、検査と矯正の対象であるなら、「こう動く」という正解は必ずあるはず。
しかしどの文献を読んでもそれらしきものは見当たらない。
他の関節同様、そこにはある程度の「秩序」がなければ身体の緻密なコントロールは不可能。
それが分からなければ仙腸関節など分かるはずはない、という思い込みだけは揺らがなかった。
そしてある仮説にたどり着き、そこから私の人生は大きく変化しました。
たぶん良い方に(笑)。
この著者は、私が仙腸関節を追究する前の「分からない」の段階で、私とは正反対の方向(否定)に走ったのだろうと思います。
否定せざるを得ない材料はたくさんありますので。
私が肯定に転じたのは、たまたまです。
その仮説にたどり着かなければ、この著者と同じ道を歩んでいたかもしれませんし、見切りをつけてまったく別の仕事に就いていたかもしれません。
仙腸関節自体がまったく分かっていなかった当時の私には、肯定的な文献も否定的な文献も両方とも信じられませんでした。
そして仙腸関節を自分なりに理解できたいまでも、やはり私は肯定的な文献も否定的な文献も、どちらも完全には信じていません。
私の関心は、その解釈に至った大本となる理論だけです。
そこがこの著者と私の大きな違いであり、骨盤矯正否定派だけでなく、肯定派との違いでもあると思っています。
さて、前置きが長くなりましたが(いつも通り)、ここからは反論。
それにしても、粗の目立つ文章ですね。
推敲しなかったのかな?
この書は、「もし仮に骨盤矯正が何の意味もなかったと仮定してみるとどうでしょうか」と仮定から話が始まります。
その「骨盤矯正に意味がない」とする根拠を確認してみます(要約)。
骨盤の歪みは医学用語ではなく、定義がない(出来ない)。
研究者が一人もいない。
研究すらされていない。
検査法の信頼度も研究されていない。
ここで挙げられている検査法は、非対称性の触診、下肢長差、モーションパルペーションの3つのみ。
著者の周りの骨盤矯正実践者には(学者並みの)解剖経験者や医学論文を読む人がいない。
骨盤の歪みの検査は不可能。
腰痛治療ガイドラインに骨盤矯正などない。
ドクターはそれを主張していない。
「非対称は正常」「骨盤角度、腰椎の前後弯、妊娠中の骨盤角度、側弯、傾斜や非対称性」など、毎度おなじみ画像と腰痛は無関係論。
腰痛と骨盤矯正との関係に対する著者の見解をおおまかにまとめると、「慢性腰痛は腰の問題ではなく知識であり、骨盤の歪みという思い込みや信念は腰痛を慢性化もしくは悪化させ、骨盤矯正と他の施術とを併用しつつ長期的に施術を受けることで、プラシーボ(運任せ)と時間経過によって自然に治ることもあるがそれは錯覚」となります。
赤字は事実誤認(ウソ)。
緑はすでに反論済み。
青字は著者の個人的な見解。
紫は事実。
その他は謎の登場人物による真偽不明な証言と著者の偏見に基づく罵詈雑言。
骨盤矯正はナチスの大量虐殺と同レベルの蛮行であるとも。
根拠は事実誤認と著者の主観が大半。
アマゾンのレビューには、それを鵜呑みにして称賛し、推奨するコメントが書き込まれています。
すべてに反論したくなりますが、また何回も続けるのも面倒なので、今回はなるべく簡潔に(すでに長い?)。
「研究者が一人もいない」「研究すらされていない」「検査法の信頼度も研究されていない」
まさかPubMedで「骨盤矯正」と検索したんじゃないよね?(笑)
「ドクターがそれを主張しないから」
それを「骨盤の歪み」と断言するかどうかは分かりませんが、仙腸関節へのアプローチを行うドクターは実際にいますよね。
本人が行わなくても、クリニックで行うとか指示を出すとかはあるでしょ。
現に私は、そういうクリニックに勤務しています。
その他、有名なAKAもあるし、カイロやオステ業界にもドクターはいますよ。
まぁ私にとって、ドクターが主張しているかどうかなど、まったくどうでもいいことです。
これ ↓ は「骨盤矯正」を批判し「仙腸関節矯正」を肯定する医師の記事です。
この記事では「骨盤矯正」と「仙腸関節矯正」は別物という論調で批判が展開されていますが、私は「あえて」同じ意味で使っています。
そんな言葉遊びはどうでもいいと思っているので。
「骨盤の歪みは医学用語ではなく、定義がない(出来ない)」
確かに医学的な定義はありません。
しかし医学用語があろうとなかろうと、そんなこととは関係なく「定義」はできます。
医学用語云々はともかく、明確に定義できていないということは、私も大問題だと思います。
そこで著者は便宜的に「骨盤の関節部で骨と骨が本来の位置からズレているものを修正すること」と骨盤矯正を定義をしています。
ざっくりと言えばそうなのかもしれませんが、これでは不十分、雑すぎです。
この本来の位置から「何が何に対してどのように」ズレているものを「どう修正するか」、といった細部が個々のテクニックで異なるので、それぞれの定義も異なる、というのが骨盤矯正の現状であり問題である、と言う方が正しい。
そもそもまとまりのない「骨盤矯正」を主語とする批判には、具体性がありません。
結局この定義はすべてを包括しているようでいて、実は何も否定できない。
なぜなら現状では、明確な定義のない骨盤矯正は個別にしか定義できないからです。
だから「私の骨盤矯正は他とは違う」という逃げ道を与えてしまうことになる。
本書では「触知錯覚」という概念を用いて、触診の不確実性を説いています。
「触知錯覚(パルペトリーイリュージョン)=セラピストとしての思考や知識、あるいは触診技術に影響され触診結果を歪めてしまうこと」
それについて、私の経験から言いたいことがあります。
私もかつて、「私が感じているこの触診結果は信用できるのか?」という疑問を抱えていました。
その理由は、私の触診結果に偏りがあったからです。
どうしてこういうパターンの変位が多いんだろう?と。
当時はまだビギナーでしたから、ベテランの先生方にも相談したりしていました。
何人かの先生に「それは君の持つ変位が投影されてしまうんだ」というような指摘を受けたことがありました。
徒手療法ってちょっと神秘的なところもありますから、その時は「そんなことあるのかな?」と思いながらも、釈然としないまま一旦判断を保留しました。
しかし、それが私の変位が投影されたものでも「触知錯覚」でも、ひとまずその感覚を信じないことには先へは進めません。
そして私はその「偏り」を受け入れた(信じた)結果、今の理論にたどり着きました。
自分の感覚を疑い続け、最後は信じるしかないことに気づいたのです。
それがなければ、徒手的な介入など何もできません。
「骨盤の左右差=正常」
これもありがちな批判です。
身体はもともと左右対称ではないのだから、非対称で当たり前という論理。
しかしそこには「左右非対称という現象」を深く思索した形跡はない。
そういうセラピストは普段、「左右差」を見ないんですかね?
筋力、可動域、痛み、腫脹、緊張その他もろもろ、判断の指標は左右の比較、つまり左右差ではありませんか?
骨盤の左右差はなぜ無視するのですか?
筋力にも可動域にも筋緊張にも、調べれば誰にでも左右差はあるでしょう。
しかし統計上は、そうした左右差と症状は無関係、という結果になるだろうと私は予測します。
でも、介入にはその左右差を指標とすることが多い。
それは意味がないと考えますか?
基本的に検査は、「差異」を見るものです。
「差異しか見えない」と言ってもよい。
何事も、差異が見えないと判断はできない。
左右差って、差異ですよね?
素人でも「骨盤は歪んでる」って思っています。
でもプロはそれを否定する。
不思議。
本当に否定できますか?
歪んでますよね、普通に。
なぜ誰にでも見える「左右差」にもっと注目しないのか、私には分からない。
なんか変なこと言ってます?
「誤った知識を身に付け、それにより悲観的に考えるようになり、活動制限、運動恐怖症も助長する、そして腰痛が将来どうなるかを予測する患者さんの信念を悪いものへと変える、それが骨盤矯正です」。
そういうことがないとは言いません。
しかし腰痛が治らないのはすべて骨盤矯正のせい?
ここまでくると、もはや言いがかりというか被害妄想というか…。
そしてこれ、「骨盤矯正」を他の言葉に置き換えても十分成立する論理です。
「骨盤矯正」を「心理」や「環境」に置き換えても。
つまり原因不明である腰痛の犯人を何かに限定しようとする行為そのものが、痛みを誘発あるいは治癒を阻害する要因となり得る、と私は考えます。
もし、腰痛の原因はすべて仙腸関節などというバカがいるとしたら、それはその個人の問題であり、骨盤矯正とは切り離して批難すべきことです。
そしてそれは骨盤矯正に限った問題ではない。
私は心理も環境も含めたあらゆる可能性の一つとして、仙腸関節を疑っているだけのことです。
そして多くの患者は骨盤矯正を受けて効果がなければ、「骨盤矯正では私の腰は治らないな」と思うのであり、私も患者と同じように落胆するだけのことです。
まぁでも、確かに誤った認識を植え付けることはよくありませんので、ここは自重すべき、ということは認めます。
とは言っても、骨盤矯正があるから慢性腰痛が生まれる、といった論理は認めがたい。
「骨盤矯正が医療従事者を殺す」
私、死ぬの?
あ、そうか、彼らから見たら私は医療従事者ではないのか!
ま、でもそのうち死にますので、ご安心を(笑)。
この著者は、優秀な医療従事者が「骨盤矯正(効果および営業形態含む)をやりたくないがために、退職している」といった実情を憂慮し、この本を執筆したのだそうです。
嫌ならやめたらいいじゃん、実際辞めているならそれでいいじゃん他で頑張れば、という話でもあるのですが、この著者の目的はとにかく、「骨盤矯正」をこの世から抹殺することのようです。
で、そこで登場するのが謎の人物たち。
それぞれの背景も前後関係も一切不明。
各セラピストの技量も資質も、骨盤矯正の理論も種類も結果も何もかも不明。
真偽の確認のしようもない。
そうした問題のある施設があることは事実でしょう。
それがどの程度の割合なのかは分かりませんが、確実に存在していることは私にも分かります。
しかし、やはりそれらは個別の事案であり、骨盤矯正自体の問題ではありません。
骨盤矯正がなくなれば解決できる問題とも思えない。
この問題を解決する方法は、一つしかありません。
仙腸関節のメカニズムを完全解明して、ロジックで、完膚なきまでに間違いを糾弾する。
効果があるとかないとか、そういった曖昧な攻め方では相手を落とすことはできませんが、論理的な矛盾や問題点を的確に指摘されたら言い逃れは出来ないので、完全に否定したいなら、正攻法はそれしかない。
つまり論理的にぶっ潰すしかない。
もし今後解明される理論が私の理論を完全に否定するのであれば、私は潔くそれを認める以外にないのです。
そうでしょ?
仙腸関節はそれが出来ない、ってところが問題なんです。
私が仙腸関節を学んでいるときに憂慮していたのは、「いつか仙腸関節の全容が明らかになったとき、はたしてカイロはその主張を貫き通すことが出来るだろうか?」ということです。
カイロの研究者以外がその全容を明らかにしたとき、既存の骨盤テクニックが理論ごと全否定されるように思えてならなかった。
それくらい杜撰な理論に見えたからです。
裏を返せば分からないから否定もされない、分からないから縛れない、というのがまさに現状。
「腰痛治療ガイドラインにない」
ガイドラインには、非特異的腰痛の原因は書かれていません。
「原因不明」だからです。
原因不明ということは、治療法も不明ということです。
有効とされる運動療法も認知行動療法も、急性期には有効ではない。
当たり前ですが、最初から慢性腰痛なんてものはなくて、急性期から亜急性期を経て、慢性に移行します。
つまり急性期~亜急性期に改善できれば、慢性腰痛にはならない。
しかしガイドラインでは、その急性期への有効な治療法は示されていない。
なるべく通常の生活をさせながら(薬も使い)、経過を見るだけです。
その結果、改善しないものが慢性腰痛に移行する。
少なくとも現在のガイドラインの「なか」には、慢性腰痛を予防する有効な手立てはない。
なのに慢性腰痛は心理だ社会だ運動だ、というエビデンスだけが過大評価される。
あたかも腰痛は心理社会的な問題だ、といった調子で。
何かおかしくないですか??
もちろんすべてが、とは言いませんが、急性腰痛の中には「仙腸関節」が絡んでいるものがあると私は臨床的に強く実感しています。
あ、ちなみにこれ ↓ 去年の論文です。
The sacroiliac joint – Victim or culprit.
Best Practice & Research Clinical Rheumatology. Volume 33, Issue 1, February 2019, Pages 88-101
「すべての腰痛の10〜30%が仙腸関節に起因すると推定されている」って見解もある。
もし仙腸関節が原因であるなら、そのメカニズムを解明し、問題の正しい分析法と矯正法を確立する必要がある。
それがなければ、仙腸関節の問題は解消できないのだから。
そしてその部分に関しては、慢性化を阻止することが出来るかもしれないのだから。
そうなれば、変な骨盤矯正もなくなるでしょ?
なにか間違ってますか、私?
これってそんなに悪ですか?
個人的には、私が向き合っているのは「疼痛」ではなく「機能」だと思う。
歪みの大小と痛みは確かに比例しません。
痛い人は痛いし、痛くない人は痛くない。
痛みは主観であり、認知であり、脳からのアウトプットであり、感じ方は人それぞれであり、時と場合にもよる、のであるならなおさら、セラピストとして向き合うべきは「機能」の方ではないかと思う。
そのためには「異常」ではなく「正常」を知らなければならない。
だから私は、仙腸関節の「正常」を追究しているのです。
それが嘘つきだとか詐欺だとか言われたって、やめないよ。
コメント
私も機能だと今まできました
行澤先生
コメントありがとうございます。
もちろん痛みを知ることは大事ですよね。
でも私の場合は症状を追いかけることになってしまって、結果振り回されて疲弊する、なにより判断が患者任せなところに違和感がありました。
仙腸関節に関してもテキスト任せの判断に納得がいかず、自分で納得できるまで考えた結果、こうなりました。
頑固で職人気質なんでしょうね(笑)。