西洋医学にしろ、カイロにしろオステにしろ整体にしろ、糖質制限にしろマクロビオティックにしろ、その他もろもろ、世に治療法健康法はあまたあれど、どれもすべてに対して「100%有効」ということはない。
ようするに、あのひとには効いたけどこのひとには効かない、ということが当たり前にある。
例えば相変わらず糖質制限には興味があって、糖質が幅広い病を引き起こす大きな要因となる、ということはある程度理解できるのだけど、やはり一つの疑問として、なぜ、同じような食事をしているのに病気になるひととならないひとがいるのか、というところに行きつく。
そこにはその他の要因が絡んでいるのだろうという仮説が自然と成り立つけれども、その要因を求めていったとしても、きっとまたおなじ疑問に行き着く。
そもそも糖質によってもたらされる身体内部の変化は単純な生理的反応であって、その反応が過多であったり過剰であったりすると病気になる(?)。
とすると、そうした(過剰な)反応は正常な反応なのか、それともそれ自体が異常なのか、または糖質を過剰に摂取しながら健康に長生きしてしまうひとは正常なのか異常なのか、といった議論も可能である。
仙腸関節にしても同じで、仙腸関節に歪みがあっても問題を起こすひとと起こさないひとがいる。
またその歪みの程度と症状に正の相関があるともいえない。
「歪み」という「異常」があり、それが何かしらの物理的刺激を生じさせ、その結果として諸問題を誘発すると仮定して、それが自覚症状につながるケースとつながらないケースがあるのであれば、つながるものが正常で、つながらない方は異常なのかもしれない。
突き詰めれば、さて、本当の健康とは何か?というところへ行きつくはずである。
こういったものは考えれば考えるほどに、おそらく堂々巡り。
行きつくところは・・・・・・ない、のかもしれない(今のところ、ない)。
どのような方法もパーフェクトでない以上、こうした物言いは全てのものに当てはまる。
とすれば、自分自身にできることは何か?ということに真摯に向き合って、ただひたすら、黙々と歩み続けるほかない。
たとえその先に何もなくても。
少なくとも、歩きながらでしか見えない景色はあるはず。
「道」
此の道を行けばどうなるのかと
危ぶむなかれ危ぶめば道はなし
ふみ出せばその一足が道となる
その一足が道である
わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ
アントニオ猪木 じゃなくて 清沢哲夫(無常断章)
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