それは失恋にも似て

どのようなきれいごとや御託を並べたところで、基本的に、我々の業種は治って当たり前、それが前提のお仕事。

なので、特筆すべき事例でもない限り、わざわざブログにあれこれ改善例など紹介する必要はないと私は考えている。

とはいえ、全てがうまくいくほど生易しい仕事なわけはない。

当然ながら、不本意な終了の仕方も少なからずある。

私はそのような時、とても落ち込む。

双方合意の上、「これは無理だね」と打ち切る(または他の最善策を提示する)場合はまだよい。

中には、そもそも我々の範疇ではないものもあるから。

けれども、そうでないもの、つまりは、「力及ばず」的なものに関しては、とことん落ち込む。

何度経験しても、これだけは慣れることがない・・・。

 

これはまるで、失恋のようだ。

恋というものは、困難なほど燃えるという。

これはよく分かる(難しい患者ほど、燃えるものだ)。

燃えれば燃えるほど、自ら身を引きにくくなる。

そしてその分、失った時のショックも大きい。

突き詰めるほど、自分自身以外に、責められるものもない。

 

こんなことが今まで何度となくあって、これからも続くのだろう。

本当にきつい!

 

でも、この苦しみが、自分自身を伸ばす原動力ともなっている。

医学だって、そうやって発展してきたはずだ。

 

でもつらいね。

しかしこれが平気になってしまうのも怖い。

それは心を失うか、他に奪われるということであるように思う。

それでは繁華街をうろつくキャッチセールスと同類だ。

どんなに落ちぶれても、治療家としての矜持を失いたくはない。

 

とまあ、いつものことではあるのだけど、たまにはこんな事を書きたい日もあるよね(だから適当に流してね)。

 

さて、大好きな寅さんでも観て寝るとしよう。

そして明日も頑張ろう!

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