あらためて仙腸関節に魅了されるわけを考えてみた

私は長いこと仙腸関節に魅了され続けています。

仙腸関節に興味を持ちはじめたのは柔整の専門学校在学中ですから、もう28年も前のことです。

あまりにも分からなかったので冷めた期間もありましたが、再度興味を持ち始めたのが16~7年くらい前で、それから今日まで一度も関心を失うことなく探求を続けています。

なぜ飽きないんだろう?と自分でも不思議です(笑)。

あらためて、どうしてこれほどまでに仙腸関節に魅了され続けられるのか、ちょっと考えてみました。

まず、やはりまだ完全に解明できた(された)とは言えませんから、真実を知りたいという好奇心から逃れられないということがあります。

またこれだけ観察し続けてもまだ発見がある、というのも仙腸関節の魅力の一つでしょう。

臨床的に欠かせない関節だから、というのも大きな理由です。

しかし思うに、魅了される一番の理由は、仙腸関節自体に、そして仙腸関節を中心にみた身体観に、物語性がある、というところなのではないかと思っています。

仙腸関節は身体に数ある関節の中の一つでしかありませんが、その機能は、腰椎や下肢はもちろんのこと、脳をはじめとした様々な器官とその機能、その人を取り巻く環境、仕事や趣味嗜好、性格などともつながりを見出せます。

いわゆる自然治癒力とも深い関係がありそうです。

身体の不調の要因を探る上でも重要な手掛かりとなります。

これらの多くは仙腸関節を観察している過程で関連性が浮かび上がってきた事柄です。

身体を観る上で、ストーリーが成立するのです。

身体は全ての器官が何らかの目的のもと協調しながら機能しています。

しかし、各運動器の異常を個別に観察していても、他との繋がりはなかなか見えてきません。

そこに物語が浮かび上がらないのです。

以前「木を見ていたら森が見えた」という記事を書きました。

そこでは、仙腸関節を知ることで身体を包括的に見られるようになった私の経験を書きました。

これも仙腸関節に関わる私的な体験談、つまり物語です。

したがって、私自身の「人生」という物語ともすでに大きく関わっています。

私は論文も一つの物語であると思っています。

その物語がただのファンタジーになってしまわないために、科学的な検証が行われていると解釈しても、それほど外れてはいないと思っています。

そうした科学的検証を積み重ねることで、物語は学問へと昇華します。

それぞれの物語には背景が必要です。

背景という現実とのつながりがなければ、それはやっぱりファンタジーです。

仙腸関節を深く観察していたらその背景とも結びついていて、ストーリーが自然とつながりました。

周りに広がる森が見えたわけです。

徹底して突き詰めれば、他の関節にもそうした要素はあるのかもしれません。

でも、物語として仙腸関節は格別なのです(笑)。

自慢じゃありませんが、私の仙腸関節論など100%仮説です。

いまのところフィクションだと言われても仕方ないかもしれません。

しかし開き直って言えば、医学だ科学だといったところで、身体なんてまだ不明なところだらけなんだから、ほとんどが仮説です。

どれもこれも仮説なんだとしたら、物語として面白いものに関心を持って取り組んだ方がまし、だとは思いませんか?

それぞれの研究が散文的ではなく、大局的な物語として繋がっていたほうがより面白いと思いませんか?

ていうか、本来そうあるべきものだと思います。

そこで重要なのが、背景です。

つまりどこまでを背景として見据えているか?

それが狭い(閉じた)ものは、あまり面白い物語ではない。

といって、背景が宇宙だとか量子だとかの話になると、仮にそうだったとしても、ややファンタジックだし、レベル的にちょっとついていけない(笑)。

そんなことを考慮しても、仙腸関節くらいがちょうどよかったのだと思います。

とりあえず、生きているうちに、見える範囲での解明は不可能ではなさそうですし。

で、結論としては、やっぱり面白いから、というただそれだけのことなんですけどね。

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