病理については分かりませんので

仙腸関節塾 第17期 令和6年9月29日(日)30日(月)開催決定

(第17期は満席となりました。次回は令和7年4月頃を予定しています。興味のある方はご連絡ください)

 

先日投稿した「誰かを袋叩きにしたところで骨盤の歪みはなくならない」という記事をFacebookでシェアしたところ、「病理をおしえてください」とのコメントを頂きました。

このコメント、私が確認しているだけで3度目です。

すべて同じ方から。

3回の内2回は栗原先生のFacebook投稿へのコメントです。

コメントのあった栗原先生の投稿は2回とも私が関係していましたから、2度目のコメントには私が返信しました。

そして今回3度目の「病理をおしえてください」です

 

前回のコメントに対して私は「分かりません」と正直にお答えしています。

その理由は、仙腸関節は「正常」がまだ分かっていないので、厳密な意味で「異常」は分からない、「異常が分からなければ病理など分からない」と。

それと同時に「歪みのなにがイケナイのでしょうか?」と聞かれていたので、私は「歪みが悪いとは思っていない」と返信しています。

にもかかわらず、また私が「歪みが悪いと言っている」前提で、「病理をおしえてください」と同じ質問を繰り返されます。

 

この調子だと、次もありそうです。

この先何度もこの繰り返しになると思うとうんざりなので、この質問に対する私なりの考えをここにまとめておきます。

 

まずはじめに、私は骨盤の歪みは「異常」ではなく「機能」だと考えています。

そして病理については「分かりません」。

何度聞かれても同じ回答です。

 

そのうえで今回のように「病理はありますか?」「病理をおしえてください」と何度も尋ねられると、「この質問者はどのような意図でこの質問をしているんだろう?」とその背景に注意が向きます。

あまりに漠然とした質問は、逆に裏読みしてしまうものです。

これは質問者の問題ではなく、私の受け取り方の問題かもしれません。

しかし批判への反論に対するこのコメントですから、自然と身構えます。

 

私は前回も、その背景まで勝手に斟酌し、まぁできれば理解していただきたいので、丁寧に回答したつもりです。

なのにまた、3度目の質問。

正直、この方の言う「病理」とは、その意味をはかりかねる、そんな文章なのです。

気持ちを抑えて、少しでも相互理解に繋がればいいと、今回も丁寧な回答をしたつもりです。

そしてその回答に対する相手からの返信は、私の回答には見事なスルーで、別の話を持ち出してご自分の意見のみを返してきます。

まずは回答に対する返答をしたうえで別の意見を述べる、というのが自分から投げかけた対話の作法ではないかと私は思うのですが。

そうでなければ、私の回答が質問の意図を汲めているかどうかの判断もできません。

 

ここで私が言いたいのは次の事です。

機能が分かる前に病理が分かるなんてことがあるのでしょうか??

それは「これが病理だ!しかしそもそもの機能は不明だ」ってことですよね?

私の仙腸関節に関する現在の主張は「この関節の機能はこう捉えるのが妥当だ(仮説)」「その仮説から推定される検査と矯正により、再現性のある変化が現れた」「だからその仮説の妥当性は高そうだ」とここまでです。

これ、なにかおかしいのですか?

 

仙腸関節は関節です。
滑膜もあり靭帯もあり関節包もある、繊維軟骨も硝子軟骨もある、神経終末も入り込んでいるれっきとした関節ですよ。
ここだけ見ても、逆に病理がないなんてことがあり得るのですか?

 

これでもまだ「病理はありますか?」とコメントが来るかもしれません。

それがまた栗原先生や他の方に飛び火してもご迷惑です。

 

何度でも言います。

病理は分かりません。

そして「歪みのなにがイケナイのですか」というご質問は、「歪みは悪い」と言っている人にお尋ねください。

すみません。

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