『【骨盤矯正?え?】仙腸関節アプローチをサイエンスと神経から読み解く』という仙腸関節の批判動画への反論、その②です。
その①はコチラ。
あ、この動画へはオタクとして反論しますが、DNMを批判するものではありません。
皮神経とか、とても勉強になりますよ。
では、その②スタート。
今も昔も、仙腸関節矯正は、サイエンスな人々からはいつでもフルボッコ状態。
分かってるんですそんなこと。
知っててやってるんですよ、こちとら。
いくら批判されても、仙腸関節は矯正云々以前に、知れば知るほど、その機能そのものに魅力がいっぱい詰まっているのです。
だからほっといてくれないかい?(あ、別に絡まれたわけじゃないけど。)
それにしてもサイエンスサイエンスうるせぇなーと思うわけですが、ところでサイエンスって何??
レントゲンやMRIなどの画像上に認められる構造的な所見と痛みには関連性がない、というこれまでの研究結果などを根拠に、いわゆる骨盤矯正は否定されるわけです。
私はそれに対して「侵害受容器がそこにある限り、痛みは構造からの警告である可能性はゼロではない」と前回私見を述べました。
しかし私は、「構造に変化が認められても無症状」への反論はできません。
こうした研究が示すものは、結局のところ画像とは無関係に「痛い人は痛いし、痛くない人は痛くない」ということでしかない、と思っているだけ。
痛みは「主観」、画像は「客観」です。
これらの研究から分かるもう一つのこと、それは「主観は否定できない」ということ(ここ大事)。
で、ここで早速屁理屈をこねれば、こうした研究は、画像という「客観が否定されている」ってことじゃないのかい。
「痛み」は画像に映らない。
画像所見と腰痛には因果関係が見出せないって、そういうことでしょ?
どんな検査をしても、目を凝らして画像を隅々まで眺めても、「痛みは見えないんだよねぇ」ってことじゃないの?
なぜそれを「構造上の変化は痛みとは無関係」と解釈するのか、不可解。
それは現在の科学技術では、痛みの質も強さも場所も、それを客観的に「識別することは出来ない」ってだけのことですよね?
明日になれば、痛みが見える機械が開発されるかもしれない。
サイエンスな人々は「痛みはヘルニアや狭窄や変形やアライメント不良など画像所見とは無関係」と言い切ってしまうけれども、それは画像という「客観」を否定しているわけでしょう。
「画像は診断のツールとしてふさわしくない」と言っておきながら、一方では、その当てにならない画像を使って仙腸関節を否定してくる。
「そんなのおかしいじゃねぇか!」と、ちょっとだけ言いたい(まぁ言われてもしょうがないか、ってところもあるから、ちょっとだけね)。
痛みとは、「患者が痛いと言えば痛い、痛くないと言えば痛くない」という、いたってアナログなもの。
客観的な「観察」も「定量化」もできない。
「主観」として経験的に「分かる気がする」だけ。
しかしそれは見ることも測ることもできませんから、「あなたの痛みと私の痛み」「痛みAと痛みB」が一致する、ということを確認する手段はいまのサイエンスにはない。
患者はもしかすると、「あんたにあたしのこの痛みが分かるわけないのよ」と思っているかもしれない、いや、たぶん思っている。
ほんとに分からないし。
仮に、腰痛の原因を客観的に同定できたと、「思った」とする(主観)。
次にその原因を客観的にも取り除けたとする。
でも腰痛(主観)に変化がなかったら、結果として客観が否定される。
もしそれで腰痛が改善したら、それは肯定される。
施術者が客観的にみた主観(笑)で、「これだ」というアプローチをしたとする。
でもそれは客観的には確認できない。
腰痛に改善が見られなければそれは否定され、改善すれば肯定される(否定はできない)。
明確な客観的証拠のない痛みに対しては、何をしても、どう考えても、その正否は患者の「痛みという主観」に頼らざるを得ない。
なんてこった、それでは多くの痛みを対象としたアプローチには結局「主観」しか残らねぇじゃねぇか、それがサイエンスの答えじゃねえかコノヤロー。
などと、こんなことを認めて、それを原則としてしまうと、全部否定か全部肯定になってしまうよね。
客観的にみて。
カイロプラクティックでは「サブラクセーションは神経の伝達を阻害する」というテーゼのもと、アジャストメントを実践してきました。
しかし残念なことに、サブラクセーションはサイエンスで証明されていません。
サブラクセーションは、カイロプラクターの主観でしかないということ。
痛みの原因が椎骨のズレによる神経の絞扼だという証拠が示せないから、「非科学的」であると非難されてしまう。
サイエンスでは「証拠」を客観的に示せない限り、「主観」は認められない。
それがどの部位での絞扼であっても、どのような理論に基づいても、その証拠が示されなければ同じこと。
いまのところそれは主観なしには肯定されないわけだから、なんとなく矛盾を感じるけどね。
構造が痛みと関係するかどうかという議論は、結局最後は、「痛いものは痛い、痛くないものは痛くない」のであり、構造的なアプローチで痛みが「取れるものは取れる、取れないものは取れない」のである、というところに落ち着く以外にない、いかにも不毛な議論だと私は思うけど。
そして「構造の変化≠痛み」と断定してしまったら、痛みを構造の問題に帰結させることができないので、それはじわじわとセラピスト自身の首を絞める呪縛となるだけでなく、最後には痛みは「脳のせい(≒気のせい)」となって、少なからぬ数の苦しむ患者を生みだすことにもなるだろう、と思う。
これまで他人の痛みを見た人は誰もいないのに、サイエンスはそれを疑わない。
見えないし、計測もできないのに、いや、だからこそ、その「主観」は否定されない。
いいな、痛み(笑)。
だからといって、そんな客観性のないものがサイエンスなら、オレだってサイエンスだコンチクショウ、などと詭弁を弄するほどアタシは愚かではない、、、つもり。
ただ一つ言いたいのは、いまのところ痛みという主観に客観が入り込める余地は、客観的に見てなさそうだな、ということ。
そして痛みを対象とした介入は結局、判断の基準が「主観」以外にはなさそうだな、と(あ、二つ言っちゃった)。
ここに「生物心理社会モデル(Bio-Psycho-Social Model)」を持ち込んでも一緒。
心理や社会にまでその対象を広げたら、それこそ「痛みの原因は一人一人違います」となって、ますますサイエンスからはかけ離れてしまうと思う。
もちろんそういう痛みもあるに決まってますが、それはそちらの専門にお任せしたい。
たぶん私の手には負えない。
さすがに仙腸関節でどうにかなるとは思えない(笑)。
構造は構造で、なにかに対象を絞って、その共通項として表れる出来るだけ客観的な現象を整理して、それらしい意味を見出すしかない。
私にとってはそれが仙腸関節で、そこには共有可能な「利き手に関わる動きの左右差」というレントゲンもMRIも使わず客観的に示すことのできる現象がある。
痛みではなくて構造を対象として、その左右差を糸口に仙腸関節へとアプローチしてみると、なぜか「痛み」という主観に変化が現れることが多いという、それだけのこと。
しかもそれは「腰痛だけ」ではありません。
だから私は私で、この問題に対して、出来るだけ「客観的」に「主観」を述べたいと思う。
私の現状認識に誤りがなければ、仙腸関節のメカニズムは現在も不明です。
まだ誰も真実にたどり着けてはいないはず。
仙腸関節の運動軸が明らかになった、というオタク的ビッグニュースは、まだ私のところには届きません。
試しにPubmedで「sacroiliac joint」と検索すると最近のものがずらりと並びます。
それらしいものを適当にいくつかクリックして見てみると、「診断のためのゴールドスタンダードはない」という言葉が目立つ。
そこから読み取れるのは、「仙腸関節は世界中の研究者からの関心をまだ失っていない」ということと、「正確な評価が難しい」ということで、決して「結論はすでに出た」ということではなさそうです。
批判は一向にかまわないけれども、まだ継続中の議論に対して「完全に否定された」かのような言い回しで、研究には一切関与していない部外者が、ミスリードをしてまでその議論を打ち切る権限がどこにあるのかと、ちょっと思う。
ある意味、私ほど仙腸関節を疑い続けている人間はいないと思うわけです。
なんせ既存の理論など、肯定も否定も含め、一つも信じちゃいないのですから。
さらに自分の仮説でさえ、常に批判的な視点を失わないよう観察を続けています。
いつも言っているように、完全に否定されるのであれば、それはそれで、素直に受け入れる覚悟はいつでもできています。
そのうえでこういった批判への感想は、「またいつもの話かぁ…」という程度のものでしかありません。
私にとって仙腸関節に関する論文は、基本的にはすべてが批判の対象です。
もちろん自分自身のものも含めて。
私は科学者ではありませんが、科学的な視点とは、信じることではなく「疑うこと」だと思っています。
そういう意味で、科学信奉は一種の「宗教」のように私には感じられます。
疑わなければ発展もありません。
明日には180度変わる可能性があるものが科学です。
それを分かったうえでもまだ、疑いきれないものがある。
主観的に。
仙腸関節は現状では分かっていない、ということが分かっているだけ。
その「分からない」を認めることも、科学的な態度だと思いますよ。
正当な批判はより真実に近づけますが、不当な批判は真実を遠ざけます。
まだ動画の内容に触れてませんけど、終わりが見えなくなりますので、今日はここまで(笑)。
次回はあるのか?
めんどくさくなってきたぞ(笑)。
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