わがまま次男坊も中学生になり、算数が数学になって多少難易度も増したのでしょうか? 「これ分からん」と、珍しく聞きに来たのです。
計算問題で「(+3)-(-5)=」みたいなやつですけど、要はマイナスを引くとプラスになる、というところが理解できないのだそうです。
教えてくれと言われたのですが、これ、説明難しい。教科書の数列を使った解説はいまいち分かりにくいし。
そのまま覚えろ、と言ったところで理解できないものをそのまま覚えるというのはよろしくない。それを繰り返すことで数学は苦手から嫌いになる(経験談)。
「こんな計算生活に必要ない」とかすでに言ってるし。「実は父ちゃんもそう思う」、とも言えず・・・。
こういうのは、やっぱり言葉で説明するしかない。「タイムマシーン」なんか使って時系列で説明して(昨日お金を落として今日の財布の中身は0円です。昨日に戻って落としたことをなかったことにしましょう、みたいな)、なんかわかった気がする、というところまでは行けたけど、それでも十分ではない。
結局自分もいまいち納得できずに、水曜に穴吹クリニックへ行った際に、穴吹先生の奥様にお尋ねし、ようやく解決。的確なご説明ありがとうございました。バカ息子もようやく理解できたみたいです(バカ親父も)。
なんていうか、今回いろいろ考えてみていまさらながら思うのは、結局数学が分からなくなってつまらなくなるのは、小学校の「算術」と違って、何をやっているのかが分からないからだな。
その数式が表している論理が理解できないからつまらないんだな。読めない言語を読まされているようなもので(数式は世界共通語なんだよな)。
数学も世の中の事象に直結していればもっと面白く学べるんだろうけど、でも実際には世の中のほとんどの事象は様々な要素が絡み合う複雑系だから、完全に数式に置き換えられるものでもない。
そもそも分数とか出てくる時点で怪しい。1÷3=1/3なんていっても、1/3なんて割り切れないじゃん。みたいな。昔先生が「1/3は0.33333333……なので限りなくうんぬんかんぬん」的なことを言っていたけど、なんだかごまかされたような気がしたのを覚えているな。
√2の直線だって、厳密にはひけないわけでしょ(コンピューター上でこれを表現するとどうなるんだろうね?)。
1/3とか√2なんかは記号であらわすと一文字で、計算すると答えも一つになるけど、数字に直して計算しようとした場合にはどこかで後ろを切らなければならないよね。そうすると、切った場所の数だけ答えも存在することになるし、答えは無数にあるということになる。
数なんて所詮概念でしかない。よく知らんけど。たぶん。
でもこの1/3とか√2とかの割り切れなさが世の中的というか、アナログ的というか、いいよね。
数学が世の中とどこかでつながっているとするなら、この割り切れなさの方ではないか、などと思ったりもする。
大体何でもそんなに簡単に割り切れるなんてちょっと怪しいぞ、デジタルなんてものホントじゃねぇぞ、みたいな。
なんかその辺を表そうとするのが哲学だったり文学だったりするのかな。そして広い意味で言えば、芸術も音楽も形は違えど目的は一緒、なのかな。
でもやっぱり言葉で表すのにも、芸術や音で表すのにも限界はある。
そうした限界をなるべく理解しつつ、あとは仕方ないので自分なりに補足していく。それが「考える」ということであって、「自分の考え」ということではないのかな。
なんだか子供の数学の話からずいぶん横道にそれて、なおかつ飛躍してしまっているけども、そんな思考が中学生のうちから出来たら勉強はもっと面白かったのかもね。
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