救急車の中で

書こうかどうしようか悩むところですが、あえて書いておきます。

水曜日(正確には日付は変わって木曜日)の深夜に、私は救急車で運ばれたのです。

階段から落ちてしまって。

その日もいつものように焼酎を飲み、23時半くらいに就寝しました。

1時半に目が覚め、トイレへ行こうと一階に降りようとしました。

その時意識はしっかりしていて、受験生の長男の部屋の明かりがついているのを確認し、「まだ勉強中か」と思いながら階段へ向かいました。

そして、落ちたのです。

落ちたことは覚えていますが、落ちた瞬間の記憶はありません。

どのように下まで落ちたのかも分かりません。

頭を強く打っていたのは覚えています。

気付いた時には、一番下の段で、犬が二階に上がってこないように設けている階段下のフェンスに阻まれて、横向きに嵌まっている状態でした。

意識はぼんやりとありましたが、動けませんでした。

妻がいて、救急車を呼んでいるのが分かり、私は「大丈夫だ」といったのを覚えています。

救急隊が到着し、意識や瞳孔反射、麻痺、出血の有無などを確認していました。

頭は痛かったですが、意識はかろうじてありましたし、受け答えをした記憶はうっすらとですがあります。

そして、意識を失いました。

再び気が付いた時にはまだ家でしたから、それはほんの数分だと思います。

その後救急車で甲府の病院へ搬送されたのです。

病院に到着した際には意識も清明で、頭痛がある程度でした。

CTにも異常はなく、今後起こる可能性のある「慢性硬膜下血腫に注意」との指導を受け、その日のうちに帰宅することが出来ました。

つまり、幸い何も異常はなかったということです。

家へ戻ると長男と次男は起きていました。

長男が現場検証(笑)をした感じでは、コの字型の階段の中間地点にはいくつか痕跡が残っているので、おそらくほとんど最初から最後まで落ちたんじゃないかと推測していました。

それくらいひどい音がしたそうです。

ちなみに、いまも私の頭には、皮下血腫(たんこぶ)が4か所あります(そして腰にも強い痛みが)。

転げ落ちたのでしょうか?

さて、ここまでは前置きで、その時何を思ったか、それをここに書きたいと思います。

落ちた直後、頭を打ったという自覚はありましたので、朦朧とする意識の中、「ヤバいな」と思っていました。

救急隊が到着した後、意識が遠のくのを感じ、「死ぬのかな」と考えていました。

ともに、その時点で恐怖はありませんでした。

救急車の中では意識がありましたが、「状況によっては、まだ分からないな」と冷静に分析していました。

病院ではかなりクリアになっていて、その不安はほとんど消えていましたが、着くまでの間、いろんなことを考えていました。

特に思ったのは「いま、死んでいても不思議はない」ということです。

その時点では生きている喜びを強く感じることもなく、「生かされた」とか「いまはまだその時ではなかった」などでもなくて、「やはりいつ死んでも不思議ではないな」ということを強く感じたのです。

その前の薄れゆく意識の中では、「あ、こうやって死んでいくのかも」と冷静に状況を見ている自分もいて、「あっけないものだな」と、あきらめにも似た感情もありました。

意外と「生」への執着は強くないタイプなのかもしれません。

しかし、いまこうして普段の生活を無事に取戻し、改めて思うのは、「生きているうちに、やるべきことをやろう」ということです。

これは「やりたいことをやって死ぬ」ということとは、少しニュアンスが違います。

死ぬのも生きるのも、自分の意思の及ぶところではないものです。

だったらせめて、多少意思が関わることのできる、「どう生きるか」という部分が重要になります。

今後どのような状況におかれても、そこに違いはありません。

やるべきこと、自分にしかできないことはあるはずです。

普段思っている以上に、人生など、儚いものなのかもしれません。

今回、それを痛感しました。

そしてできることなら、最後には悔いではなく、証を残したいものだと。

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