論理という共通構造

仙腸関節塾2days 第6期東京・第7期大阪 参加者募集中!

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久しぶりに甲府市の栞 鍼灸整骨院、岩松先生の動画です(岩松先生の他の動画はこちら)。

上腕骨外側上顆付近の痛み、いわゆるテニス肘ですね。

私も以前、肘の痛みに関する動画を公開しました。

岩松先生の動画では肘の痛みに加え、膝の症状にも着目していて、どちらも変化しているのがお分かりかと思います。

やはり私の動画にも、膝の問題と仙腸関節との関連を示したものがあります。

肘と膝に関するすべての症状に吉岡メソッドが有効であるなどと言うつもりはありませんが、それなりの確率で症状は変化します。

そしてここで強調したいのは、「誰がやっても結果は同じ」ということです。

つまり岩松先生の動画でモデルになっている今回の患者さんに関しては、私でも、他の仙腸関節塾受講者でも結果は同じです。

これは肘や膝の症状に限らず言えます。

吉岡メソッドの効果は、技術的な優劣にあまり左右されません。

もちろん精度に関する多少の違いはあるとはいえ、他の手技にみられるような「施術者の能力」への依存はほとんどありません。

同じ場所、同じ判断、同じ方法論、こうした「論理」という「基本構造」を共有しているのだから、結果が同じになって当然なのです。

そもそも技術の共有など、厳密には出来ません。

なので技術という共有しがたい体系に依存するテクニックでは、こうした結果は簡単には得られません。

さらにそこでの問題は、結果が伴わない時、「それは技術の問題だ」で終わってしまうことです。

徒手療法は「そういうものだ」という、独特の「常識」に支配されてきた傾向が強いように思います。

そしてそこには、「技術こそがすべて」という無言の圧力があったようにも思います。

技術が共有しがたいものである以上、それを伝える(教わる)ことにも限界があります。

お互いの努力で乗り越えられるものでもありません。

技術への依存が強くなればなるほど、徒手療法は、共有できない「個別の経験」だということになります。

しかし、論理は共有可能です。

というよりも、共有できるものは論理のみです。

論理的に考えれば考えるほど、最後は論理しか残りません。

仙腸関節塾の講義は、技術など二の次です。

それでもこうして結果が出ています。

徒手療法は、たまたま感性や技術が優れていた施術者たちと、たまたま相関のある患者との偶然の出会いの蓄積によって生き残ってきただけのものではないはずです。

そこには論理という共通構造があるはずだと、私は確信しています。

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