20日21日、実に3年振りの仙腸関節塾開催。
コロナで2回の中止を余儀なくされ、その後すっかりやる気をなくし、これではイカンと重い腰を上げてようやく決意。
ありがたいことに、中止になった2年半前から待っていてくれた方もいて、コロナの第8波にも負けず、10名の参加者(新規7再受講3)で無事開催の運びとなりました。
この2年半の間、変わらず仙腸関節と向き合い続けていますが、特に大きな変更はありません(小さな変化はあり)。
自分でいうのもなんですが、内容的にはかなり完成されているように思います。
なのでいつも通り、私の理論をストレートに伝えるだけです。
おそらくですが、セミナーを主催されている方にとって、マンネリな内容は商業的にはマイナスだと思われる方もいるかもしれません。
常に進化し続け、毎回新しい情報、新しい技術で内容を刷新しないと受講者が集まらないのではないか?というプレッシャーをどこかに抱えているかもしれません。
受講する側も、常に something new を求めてセミナー案内を眺めているのかもしれません。
しかし私はそうは思いませんし、それを目指してはいません。
毎回新規の受講者で埋めてしまえばいい、と思っているわけでもありません。
むしろ、同じ内容を何度も再受講すべきだと思っています。
何度も観たくなる映画ってありますよね?
何度も読み返したくなる小説ってありますよね?
観かえすたび、読み返すたびに、新たな気付きがあるものです。
そして何度でも感動できます。
そういった作品を、世間は「名作」と呼びます。
今回、再受講は3名でした。
その内の2人はすでに3,4回(もっとかな?)リピートしています。
他にも何度も再受講されている方がいます。
当塾は、再受講は無料です。
彼らはタダだから来るのでしょうか?
私はそうは思いません。
タダだといっても、貴重な時間をかけて、仕事を休んで参加しているのです。
やはりそれだけの価値を感じてもらえているから、同じ話を何度も聞きに来てくれるのだと思います。
今回その2人と、一日目の講義終了後に軽く歓談をしました。
その中でK君が、「先生の仙腸関節論は古典落語ですね」と、何気なく言いました。
そして自分のは「新作落語」だと。
様々なオリジナルをアレンジして自分流で使いこなしていくスタイル、という意味だそうです。
ちょうどそんなことを考えていたタイミングだったので、私はうれしくなりました。
古典落語、まさにそれを目指しているのだと。
古典として認められれば、作品(理論)が消えてなくなることはありません。
いまはまだ世の中的には全く無名の「自称名作」ですが、私の中では完成の域に近づいた一つの作品。
でもまぁきっと、人生も半分を過ぎたこの状況でこれでは、そのまま「知られざる自称名作」で終わってしまうのだろうねぇ。
それでも死後、知らないどこかの誰かに、「あいつの話を一度でいいから生で聞いてみたかった」とでも言われるような、そんな名作古典にしたいなぁと、3年ぶりの開催であらためてその思いを強くしたのです。
そんな生みの苦しみもどこかにあったかなかったか、初日の開始前に、水天宮へお参りに行ったのでした(安産祈願 笑)。
私の遺志を受け継ぐかどうか、いまのところさっぱり分からない次男とともに。
二代目骨盤亭仙太(笑)
次回の仙腸関節塾は4月中旬ごろを予定しています。
興味のある方はお気軽にお問合せください。
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