破壊である

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一昨日(21日)、名古屋で行われた日本カイロプラクティック徒手医学会主催、「頸椎操作の安全性と可能性」と「老人の腰痛」をテーマとした「カイロプラクティック・ディスカッション・フォーラム(CDF)」に参加してきました。

このフォーラムで最も印象に残ったのは、木村功先生の講演でした。

ほぼ哲学者の木村先生は、システム論やオートポイエーシス、頸椎上部の固有受容器などを主体として、「サブラクセーションとはシステムの動作不良であり、上部頚椎のアジャストはその固定化されたシステムの破壊である」という独自の論理を展開されました。

以前ここで、「すべての治療行為は悪行である可能性を否定できない」ということを書きました。

私はいまだにこの考えを捨てきれませんし、極論すればすべての営みに通じる可能性すらあると考えています。

なので、この木村先生の考察には妙に納得できるところがあります。

「アジャストは破壊であり、その効果は自己組織化の結果である」という捉え方は、すべての徒手療法に通じる現実的な概念として一般化できそうだと感じます。

とすれば、徒手療法に求められる課題は、いかに安全に、いかに他への影響を最小限にとどめて破壊するかという、その一点につきます。

施術の本質は破壊である。

治癒は患者自身のシステムによりもたらされる。

本質が破壊である以上、悪化するリスクは避けられない。

故に正しい知識と細心の注意、高い安全性が問われる。

と、こうした前提に立つことで、徒手療法全般に求められる倫理的な一貫性も保たれるように思います。

基本的には、徒手療法など、不要な介入に他ならないのではないか、という思いを完全には消せません。

さらに言えば、大いなる自然の摂理の前には、ヒトの営みなど、すべて「余計なこと」なのかもしれません。

ただ、ヒトのこころがそれを許さないだけのことです。

「私たち(施術者)が治しているのではない。」

これは良く聞くフレーズです。

しかし、どこかで治しているという傲慢さを捨てきれない。

施術に関わるものは、もっと謙虚であるべきです。

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