「姿勢は良い方がいい」というのはほとんど定説ですが、本当にそうでしょうか?
個人的には、良い姿勢を保つのは楽ではないし、仮に一見良い姿勢でも厳密には荷重の偏りはあるわけで、長時間の同姿勢は同部位への負担を強いることになり、必ずしも姿勢が良ければいいという問題ではないのではないかと考えます。
そもそも姿勢が良く見えるだけ、という人もいますし。
私は姿勢よりも、「荷重の偏り」や「同じ動作、同じ姿勢の継続」の方を問題視します。
それでも「姿勢は良い方がいい」という意識を持つことによって、不良姿勢が気になり、それを正そうと「動く」ことが、結果として負荷の分散に繋がる、という解釈は可能です。
つまり「良い姿勢がいい」のではなく、「姿勢は良い方がいい」という「思い込み」がいいのではないか?ということです。
そして最近、さらに別の角度からこのことを考えてみました。
実はわたくし、座っている時などの姿勢はとても悪いのです。
いまこうしてキーボードを打っている姿勢も悪いです。
食事中に、妻が息子に対して「姿勢が悪い」と注意しているのを聞くと、私が注意されているような気になってギクッとしています(笑)。
なぜ姿勢が悪いかというと、「楽」だからです。
もうすべての筋をダラ~ンと弛緩させ、重力に身を任せているので姿勢が悪いわけです。
そこから「よっこらしょ」と姿勢を正すのは、楽な動作とは言えません。
だから、基本そのままです。
つまり、楽であるが故に、その姿勢で固定されてしまいます。
一方、良い姿勢を保つことは、楽ではありません。
これは楽な姿勢に慣れてしまっているということと、不慣れであるからこそ、意識を働かさなければその状態を維持できないから楽ではない、とも言えそうです。
こうして文章を書いている時などは特に、姿勢を維持する意識など脳への余計な負荷となって、効率が落ちるような気もします。
しかし、他の脳への負荷をすべて取り去ったからと言って、良い文章が書けるわけでもありません。
歩いている時などにふと良いアイデアが浮かぶ、なんてこと、ありますよね。
哲人は歩きながら考えるというイメージもありますし、京都には西田幾多郎が思索にふけったとされる哲学の道があります。
こんな記事を見つけました。
ふむふむ、必死に集中しようとしても行き詰って良い展開に繋がらないことが確かにあります。
そんな時には自然と歩いたりしていますね。
何か別のことをしている時に突然閃いて、いざ書こうとすると忘れてしまうこともあったりします。
少なくとも、ブログを書くということに関しては、集中したからと言って良い結果につながるわけではないということは実感できます。
と、行き詰ったところで、少し姿勢を正してみます。
うん、特につらくはありませんが、楽でもありません。
ただ、この方が動きやすいことは確かです。
また、私はこの姿勢を楽とは感じませんが(別にきつくもないけど)、おそらくしばらくすると、少しきつく感じるかもしれません。
そうすると、動かしますよね。
楽ではないからこそ、そうするのかもしれません。
しかも、悪い姿勢に比べて断然動かしやすいです。
正座をしているときに、足がしびれないようわずかに動かしておくことに似ているかもしれません。
こう考えると、悪い姿勢は楽なので動かない(もともと動かしにくい)、良い姿勢は楽ではないので動かす(動きやすい)、ということは言えそうです。
ゆらぎなどを考慮しても、中間位に近い状態の方が有利であることは間違いありません。
最近丹田など考えていますが、座っている時そこに意識を落とし、中で膨張収縮を繰り返しているボールをイメージしてみたりすると、全身の力が抜けて楽だったりします。
そしてそれはやはり、良姿勢でなければダメです。
回りくどい文章になりましたが、結局結論としては、やっぱり姿勢は良い方がいい、ということになりそうです。
でも、ただ姿勢さえ良ければいい、という意味ではありませんので、お間違え無く。
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