オルテガの思想

先日アエラで連載されている内田樹さんのコラムにオルテガの言葉が引用されていて、とても興味深い内容だったので紹介します。

自由民主主義という言葉をオルテガは「敵とともに生きる、反対者とともに統治する」ことと定義した。「人間という種族が、これほど美しい、これほど逆説的な、これほど優雅な、これほど軽業に似た、これほど反自然的なことを思いついたことは、信じがたいことだ」とオルテガは書いた。

本質を突いた言葉だと思いませんか? 私は知らなかったのでネットで調べてみると、オルテガは形而上学が専門のスペインの哲学者だそうですが、興味深い記述を数多く残しています。オルテガの大衆論は社会論では古典的な論述のようですが、同じく内田さんの解釈を読むと、今の時代にも十分通じるものがあります。というより、今まさにそう。貴族と大衆の解釈とか。おもしろいです。

政治に限らず、なんでもそうだとは思いますが、敵がいる方が成長しますよね。ていうか、いないと成長できません。競技人口一人のスポーツで、俺がいつも一番、みたいなのがあったら、想像しただけで笑えますけど。

どちらにしてもお友達だけで仲良く、というのは健全なようで健全ではなく、成長も発展もないのかもしれません。当然友達の中にもライバル関係はあって、好敵手という意味では同じ働きがあるのかもしれませんけど。

自分とは相容れない、どうしても譲れない部分がある、という相手が現れた場合に、オルテガの思想は役に立ちそうです。

そうした状況で「自己閉塞」し「排他的」になり「同質な者たち」が「小集団を形成」し「内輪の言語」を用いて「自己満足」的に振る舞う集団を「大衆」と呼ぶと内田さんは解釈しています。

一方、「自分と異質な他者と共同体を構成することのできる能力、対話する力を持つ人」、それはその言葉のもっとも素朴な意味における「社会人」のことなのである、と同じくオルテガのいうところの「貴族」を定義しています。(実際はもっと深い話なので、内田さんのブログをお読みください。)

それにしても大衆の方には心当たりがあり過ぎる(笑)。

こう見てみると、その言葉とは裏腹に、敵の多い、けれど開かれた社会、というのは悪くないですね。成長し、発展する。オルテガは、同じであるという仲間意識、安心感を否定しています。

それでもこうした社会を形成するのは相当に大変なことでしょう。他の業界は知らないけど、カイロ業界は・・・。

今度オルテガの著書を読んでみよう。そうしたら、ぼくも貴族になれるかしらん?

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