バカの一つ覚え

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以前、好きな短編小説として、藤沢周平の「女人剣さざ波」(「隠し剣孤影抄収録」藤沢周平 文春文庫)を紹介したことがあります。

少々醜女な主人公『邦江』は剣の達人で、不甲斐ない馬鹿亭主の窮地を密かに救うという物語ですが、そこに至る経緯や果し合い後の夫婦のやり取りが泣ける、何度読んでも心に響く感動作です。

その邦江は秘剣『さざ波』の使い手で、その技は相手の籠手を執拗に攻め続けるという地味な戦法です。

しかしその地味な戦法で、武士である夫俊之助が到底敵わない剣豪を破って見せるのです。

もちろん邦江には秘剣を伝授されるだけの実力が備わっていたのですが、その秘剣を身に付けるまでの間には、徹底的な追求と鍛錬があったはずだと想像するわけです(フィクションだけど)。

おそらく稽古では時にはコテンパンに打ちのめされながら、ひたむきに、諦めず。

秘技を究めるためには、そのプロセスをすっ飛ばした会得などあり得ないと思うのです(まぁ、フィクションなんだけど)。

 

秘剣の創始者は創始者で、それを必殺剣とするからには、邦江以上の研鑽があったはず。

秘剣を秘剣として残し続けるためには、実戦での負けは許されませんので、生半可な技の伝授などできません。

なんせ看板が懸っているのですから、創始者には相応の責任も伴うわけです。

 

まぁその辺は、どうしても負けがつきものの我々とは少々違うところではありますが、しかし我々だって、負けっぱなしの技は後世に残らない、という点では、剣術と同質ではないかと思うわけです(あっちはフィクションだが)。

効かない施術を延々と繰り返すことなど、自殺行為なのです。本来は。

 

さて、なんでこんなことを書いているのかというと、最近始めたFaceBookでも動画を公開しているのですが、FBはブログやYouTubeに比べてリアクションがダイレクトで、コメントやメッセージも頻繁に届きます。

私が上肢の症状にも仙腸関節矯正を用いることに驚かれる方も多く、その辺についてあらためて気付いたわけです。

要するにこれは、「バカの一つ覚え」なんだと。

そしてそれはきっと、一つのことを突き詰めるための道理ではないかと。

 

籠手だけで勝とうなど、普通に考えれば無謀な話です。

実際に負けることもあったでしょう。

しかし、その都度別の技に逃げていたら「さざ波」は誕生していないはずです(しつこいようですが、フィクション)。

そしておそらく、創始者には籠手攻めにおける勝算があり、負けても負けても諦めず、工夫と努力でさざ波を完成させたのでしょう。

さざ波は、偶然生まれた秘剣ではないはずなのです(藤沢周平の頭の中で生まれたフィクションなのです)。

 

フィクションではなく我々世代にとってリアルなところでいえば、往年の古賀俊彦の背負い投げ。

相手は来ると分かっていても掛かってしまう。

しかしそこに至るまでには、返されても返されても一途に技をかけ続けた過程があったはずです。

その過程を経て、必殺技への道は開けたのだと思うのです。

最終的に相手は、知らず知らずむしろ自分から投げられに行ってしまう領域にまで達していたかもしれません。

ジャイアント馬場の一六文キックのように(えっ?)。

 

一点に執着することが、必ずしも良いとは限りません。

私自身は、執着やこだわりなどはないほうが良いと思っています。

しかし誰かがそこに執着しない限り、その点に関する可能性や限界を知ることは出来ません。

執着するのは「いい加減なものは世に出さない」という、考案者の基本的な義務でもあります。

だから言いだしっぺの私は、仙腸関節に関しては「バカの一つ覚え」で攻め続けるのが責務であると感じているので御座候ふ。

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