sansetu先生のブログ経由で知ったたがしゅう先生のブログで、糖質制限の勉強をしています。
現状知られていることについて冷静に分析し、分かりやすく情報提供してくださるたがしゅう先生の記事は、とても勉強になります。
そしてこの糖質制限、知れば知るほど、普及させる価値大有りの情報のように思います。
その解説にはとても説得力があり、脂質学会の「コレステロールを下げる必要はない」との主張とも符合します。
ストレスが身体に悪いということは常識ですが、三度の食事、それも主食である糖質(炭水化物)が大きなストレス(酸化)となり、知らず知らず身体を蝕んでいるとしたら・・・。
栄養学も見直す必要があるかもしれませんね。
さて、こんな時、ひねくれものの僕は思うのです。何故、私たちの味覚は身体にとってストレスとなってしまう糖質を「おいしい」と感じてしまうのか?と。
不思議ですよね。だって身体に悪いんだったら「おいしい」と感じない方が自分を守れるはずなのにね。
これはあまり長生きしない(させない)ためのプログラム? 生きているうちは旨いものをたくさん食べた方が幸せだから??
いや、そんな時には、太古の昔に思いを馳せてみるのです。
かつて、「生きるために食べて」いた時代、古代人はその味覚を頼りに食料を探し歩いていたに違いない。
そう、味で判断し、食べられないものは、単純に不味かった。
時に甘~い果実なども見つけたことだろう。一口かじると、その甘さは脳にダイレクトに伝達され、血中ブドウ糖濃度の上昇とともに、さぞや頭もシャッキリ、身体も元気になったことだろう。しかしそれは、ほんの一時。その量は一族の空腹を満たすにはあまりにも少なく、日持ちもしなかった。その場限りの甘美なひと時。他の動物との奪い合いもあったかもしれないな。
経験とともに食べられるものの種類は増えたが、生産能力のない彼らにとって、主食は相変わらず動物性のタンパク質(貝とか魚とか)となる。
そのようにして、農耕が始まるまでのヒトは、皮下に蓄えられるほど十分な糖質を確保することなどできなかったに違いない。基本的に彼らの食生活は too much ではなく、not enough (故に身体は小さかった)。それだけに、糖質は貴重な栄養源(御馳走)だったはずである。
それがどうだ。この飽食の時代、次から次へと食品業界はその貴重だったはずの糖質で我々を誘惑してくるではないか。ご先祖様の甘美なひと時が遺伝子に刻み込まれている我々にとって、その誘惑には抗いがたい。
そして今日も糖質に満たされた至福の時間を一日に三度(間食を入れたらもっと)も過ごすことになる。
身体の機能はまだその贅沢に慣れていないので、動揺する。対処ができないのである。そして心も体も乱される。その結果が、気の乱れ、病気となる。
飽食の時代など、人類の長い歴史から見れば、消え入りそうな点に過ぎないのである。
と、こんな具合である。なんちゃってだけどな。
まあとりあえず、今のところ「悪薬口に甘し」ということは、肝に銘じていた方が身のためかもしれないね。
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