いま脳出血後の片麻痺(左半身マヒ)の患者さんを診ているのですが、施術を通して、とても多くの事を学んでいます。
まだまだ不勉強なのですが、その患者さんは、機能神経学的な視点からたくさんの気付きを与えてくださいます。
きっと機能神経学の考案者であるDr CarrickもDr Melilloも、神経学の教科書からではなくて、膨大な量の臨床的観察からあのような理論を導き出したのでしょうね。
そういったことを想像しながら乏しい知識を駆使し、腱反射を用いた刺激を加えてみたり、足底反射と重心移動で歩行機能を改善させられないかと思案してみたり、カイロ的手法も十分リハビリに応用可能です。
また歩容や荷重時の患側への負荷形態の観察からは、なるほど、やはり筋が作用しないとこの方向に力は伝わるなと、自分自身の理論と照らし合わせて確認することもでき、本当に学ぶべきものが多くあります。
こうした病から学ぶ沢山の事柄が社会に還元されてきたからこそ、医学は発展したのだと思います。
さて、ヒトは病気になることで、健康のありがたさを実感するものです。
「病気」と「健康」とは一対の言葉ですから、もしこの世に病気というものがいっさいなかったとしたら、健康を定義することもできなくなってしまいます。
病気がなければ、健康とはどういうことなのかも分からないのかもしれません。
つまりヒトは、健康に関して、病から多くを学んできたと言えます。
そうした学びのお陰で医科学は目覚ましい発展を遂げ、克服されたものも数多くあることは確かですが、一方で、それを社会が本当に生かし切れているかどうか疑問に思うこともあります。
例えば我々の範疇で言えば、腰痛や肩こりなど、克服されるどころか、その数はますます増加しているように見えるものも少なくありません。
こうしたことは専門家にとって、かなり「イタイ」現実。
これだけ医療も科学も発達し、我々代替療法も含め、それらに関わる人口が増加しているにもかかわらず、減ったという話は寡聞にして聞きません。
(患者数が)全く改善されていないということは、その学びを生かしきれていないのか、学びきれていないのか、またはその両方なのか、それともなにか根本的なところで大きな誤りがあるのか、いずれにしても反省すべき点は多々ありそうです。
克服しようと努力してきたはずの医科学の発達に反比例するように増えていく病も、相当数あるように思えます。
私たちは、本当の意味で「病から学ぶ」ということをもう少し考えた方がいいのかもしれませんね。
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