木村先生から、すば「らしい」感想をいただきました!

先日の仙腸関節塾第11期にゲストとしてお招きした日本カイロプラクティック徒手医学会の副会長で、学会で長年お世話になっている木村功先生から、丁寧な感想文をいただきました。

木村先生は初期のころから学会活動に携わる、徒手医学会では知らない人はいない重鎮の一人ですが、その思考は哲学者そのもので、我々とは視点が違います。

今回、別件で連絡を取っている中で、私の方からお誘いし、お忙しいところご参加いただきました。

長年この業界に関わり、しかも多方面のテクニック、理論に精通している先輩方にこそ正確な評価は可能だと私は思っていますから、その点で木村先生は適任と、無理を承知でご招待したわけです。

 

今回身に余る感想をいただいたのですが、先日来、木村先生とは何度もメールのやり取りを続けており、仙腸関節を介した意見交換に花が咲いているところです。

おかげさまで、これまでにない進展がありました。

この場をお借りして、あらためましてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

お誘いしてよかったです!


仙腸関節塾を受講して(日本カイロプラクティック徒手医学会 副会長 木村功先生

吉岡先生の仙腸関節に対する深い思索には、敬服いたしました。

まず、その思索の入り方がデカルト的と思いました。

デカルトは「方法序説」で真理にたどり着くための4つの規則を定めています。

 

 1 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)

 2 考える問題を出来るだけ小さい部分にわけること。(分析)

 3 最も単純なものから始めて複雑なものに達すること。(総合)

 4 何も見落とさなかったか、全てを見直すこと。(枚挙 / 吟味)

 

これはいわゆる還元主義の基本でもありますが、その基盤となるのは一切の先入観を排除して一旦すべてのものを疑うところにあります。

デカルトの場合、知覚のみならず、覚醒状態と睡眠時の夢との違いさえも疑ってかかりました。

その結果得られた真理が、有名は「我思うゆえに我あり」という思考している自分自身の存在は疑いようがないという真理なわけですが、吉岡先生の場合、既存の仙腸関節の運動理論を疑い、その中で間違いのないと考えられる法則のみを取り出して、仙腸関節の運動理論を構築していったわけです。

そのため、その基礎理論は非常に強固で飛躍がありません。

我々、徒手療法に携わる者は、ともすれば、左右対称の方が安定が良いと考えがちですが、実は自然界にはそもそもそのようなシンメトリーなものは存在しておりません。

発生的に見ても、脳科学的に見ても、運動機能的に見ても非対称なものがほとんどです。

吉岡先生の非対称がゆえに運動体として安定できるという考え方は、一種のコペルニクス的転回と呼ぶこともできると思います。

人体において脳機能を含む各部分の要素性質の総和が全体として現れる時、単純な総和にとどまらない予測不能なシステム作動を生むと考えると、いわゆるバタフライエフェクトのようなカオスを生じ、生体に思いもかけない問題を惹起する可能性があります。

しかしながら、一つの可能性として、その基盤となっている仙腸関節の荷重運動性および安定性を改善することで、それまで生じていた問題が消失する事実があり、いわゆる決定論的な解釈にとどまらず、仙腸関節の動きの改善が指の痛みの緩和につながるなどという創発的な現象を生み出す事実を見ると、ある種カオス的に生じる人体の問題の発生に関して事前には予測不能的でありますが、結果が分かっている場合、つまり、すでに問題が生じている場合、論理的に分析して問題を取り除くことができるということであり、さらに重要なことは情報が共有でき、再現性のある技術構築ができるということです。

しかも、理論の基礎さえ外さなければ、人体に対するアプローチ方法は多様であるということも付け加えておきます。

徒手療法家であれば、受講しておくべき必須な講義であると思います。


ちょっと褒めすぎのような気もしますが、でも、私が伝えたくても伝えられないことを、木村先生の言葉で代弁してくださっています。

「理論」とは、こうしてしっかりと伝わると、そこからさらに発展し広げていけるんだということを、あらためて実感させてもらえるような素晴らしい感想文でした。

感謝です。

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