エビデンスベースドメディシン(以下EBM)。医療に関わる人間であれば、知っている言葉だと思います。
これは「科学的根拠に基づく医療」という意味ですが、最近では、エビデンス(根拠)のない行為は医療とは認められないという風潮すら出来上がりつつあるほど、医療における重要な概念となっています。
「エビデンス主義―統計数値から常識のウソを見抜く― 」(和田秀樹著 角川SSC新書)
先日たまたまブックオフで目に留まったので、読んでみました。
カイロといういまいちエビデンスの取りにくい一応医療に関わっているからか、以前からEBMにはどうもなじめない感じがあったんです。
で、これを見つけた時にも、てっきりEBMを批判している本だと思い込んでいて(中も確認せずに。だってブックオフだから)、買って読み始めてから全く反対の内容だと気づき、びっくらこいたのです。
そう、EBM礼賛の本でした。
ま、別にEBMを批判するつもりもないので、これはこれでいいんですけど。
しかし人間の思い込みとは怖いものです。やっぱりエビデンスは大事かもね。
そんなことはいいとして、本書でEBMの成り立ちが保険がらみであると知り、とても納得でした。構図としては、極力お金を払いたくない保険会社側(アメリカは医療保険も民間会社)と、スムーズに入金してほしい医療従事者側(と製薬会社)の対立。
また、EBMはどこまで行っても実験に基づく量的研究の結果のみが重視されるわけで、そのあたりがカイロになじまない(ような気がする)原因だろうと、こちらもなんとなく納得(カイロってほら、前提条件が整わないでしょ、どうしても。人が手でやることだし)。
著者はエビデンス主義を浸透させたくてこの本を書いているのだから当たり前だけど、政治にもエビデンス(簡単に言えば過去の統計)をもっと取り入れなさいと言っていますが、分かるところもあるけど、なんかちょっとしっくりいかない。でもうまく反論もできない。
なんだろなぁ、このモヤモヤした感じ。納得できないのに、丸め込まれてしまいそうな(これが統計の力か?)。
社会現象で言えば、過去から予測可能な未来もあるだろうけど、それが高確率で当たるとしたら気持ち悪いよね。人の健康についてもそうだけど、そもそも社会って要素が膨大な複雑系だから、確率論では簡単に割り切れないような気がする。
確率は低いけど賭けてみたい、という方がより魅力的な生き方に近いように感じるのは、カイロみたいにEBMからもれた人たちを相手にした商売をしているからなのかな?それともただのアウトサイダーか?
と、こんなことをだらだらと考えてみたい人にはいい本です。
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