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内圧変動や膜の自発的な動きを用いたリリース(緊張の解放)の様子は、ヒトが追い詰められ、行き場を求めて「もがく姿」にどこか似ているなと、最近感じています。
その手法にはいろいろあって、私には私のやり方があります。
私の場合、問題の個所を把握して、その動きに追従していくと勝手にリリースが始まります。
リリースには動きを止めてしまう方法もありますが、私は止めません。
手が「パッパッ」と勝手に動いてしまうからです。
その手の動きはなんですか?とよく聞かれるのですが、手が自然とそうなるので、私にはなんだかよく分かりません。
とにかく、それを繰り返していると、組織の振幅が大きく規則的になるので、そこで終了とします(手の動きも止まります)。
リリースの完了です。
その際の私の意識は能動的でも受動的でもなく、施術者というより「観察者」に徹している方が結果は良いように思っています。
まぁその方法については今回どうでもよくて、この話は、その際の反応についてです。
治療行為は全て善行との思い込みのもとになされるかと思われますが、実は例外なく悪行で、いかなる刺激も人体への強制的な介入に他ならない、という可能性を否定できません。
そちら側の観点に立てば、刺激がソフトであろうとハードであろうと、またその快不快とも無関係に、接触を伴うすべての施術は侵害刺激であるとの仮定も成り立ちます。
リリースも例外ではなく、特に間接法などは、(理論上は)変位を強調するわけですから、紛れもない侵襲です。
あえてそれを前提としてみると、その結果現れる身体的反応は、刺激からの逃避です。
無抵抗では悪化してしまうわけですから。
つまりこの逃避の反応が、「もがいている」ように感じられるのです。
これは武道の抑え込みから逃れるようなもので、その状態を脱するべく組織がもがき、逃げ道を求めている、そんなイメージに重なるのです。
私の手の無意識の動きは、身体的な同調の結果として、逃げ道を完全に塞いでしまわないために生じる活きなのではないかと推測します。
いずれにしても、これは施術者が治しているわけではありません。
これは侵害刺激からの逃避反応であり、うねりのごとき内圧変動を利用して自ら解放されている、と見做すべきです。
内圧変動の弱い人、つまり頭蓋や膜の動きが小さい人は治りにくい、と普段感じている印象ともつながります。
これは単なる当て推量ではありますが、我々の実生活においても、追い込まれた際にまずはもがいてみないことには道は開けません。
全てを受け入れる、という選択肢もありますが、それでは問題の解決にはなりません。
ただそのままじっとしているだけでは、抜け出すチャンスはつかめないのです。
「もがく力」をいかに引き出すか?ということが、自ら健康になろうとする身体を築くうえでとても重要になります。
この「もがく力」こそが、まさに「自然治癒力」の大きな柱の一つだろうと思っているのです。
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